山さんの刑事部屋

『ルーム804』



登場人物表

阿月 エリ(二〇)女性。大学一回生。

沼垂 トミ(一九)女性。大学一回生。

鹿路 カレン(一九)女性。大学二回生。





●804号室・洋室・夜
   電気が灯ってエリとトミ入室。
エリ「着いた着いた。よっこいひでき」
   リュックを床に下ろす。
トミ「お土産ここに置いときますね」
   リュックから出した紙箱を座卓へ。
トミ「常温保存で早めにお召し上がり下さい
 って」
エリ「ウン、ウン、ありがとねー」
   エリ、ベッドにそのままダイブ。
トミ「もう寝ちゃうんですか。汗かいたって
 言ってたし、せめて着替えた方が」
エリ「うー、おふろ入る!」
   枕に押しつけられてくぐもった声。
トミ「イヤやめときましょ。酔っぱらっての
 入浴は重大事故の・・・」
エリ「もう醒めた」
トミ「・・・わかりました。じゃあ出てくる
 までここで待ちます」
エリ「・・・うまいこと言って、さては覗く
 つもりだなー」
トミ「ハア!?」
エリ「浴室にもカメラ付けたかったくせに」
トミ「だ、誰がそんな・・・第一あなたの裸
 になんか一ナノも興味・・・」
エリ「私の全部、知りたいくせに」
   枕に顔を埋めたまま。
   声を上げかけて堪えるトミ。
トミ「・・・今のはバッカスの悪戯ってこと
 にしてあげます」
エリ「・・・・・・」
トミ「・・・浴槽で寝たら死にますよ」
エリ「・・・・・・」
   玄関から荒々しく出て行く音。
   エリが洟をすする音だけが残されて。

●メゾン東野・廊下・同時刻
   肩をいからせて歩くトミ。
トミ「アホ! バカ! ウスラトンカチ!」
   空中にキック三連発。
   三発目に重心が狂ってスッテンコロリ。
   リュックを背に仰向けの視界。
トミ「ボケ、カス、オタンチン・・・」
   天井の蛍光灯が滲んだように。
トミ「・・・・・・いけず」

●804号室・浴室・深夜
   窓の隙間から逃げていく湯気。
   乳白色の湯に肩まで浸かるエリ。
エリ「ようこそ、ひとり遊びの王国へ」
   浴槽に浮かんだ沢山の玩具。
   黄色いアヒルの横を暴走するボート。
   エリの胸に弾かれて転覆。
エリ「メーデー、メーデー、こちらはポセイ
 ドン・・・」
   天井の結露が滴り落ちて。
   エリの頬を水滴が流れる。
   目を閉じて夜の空気を吸い込むエリ。
エリ「・・・おいし」

●トミの部屋・同時刻
   デスクに突っ伏したトミ。
   モニターを霞がかった目で見つめる。
   何度も落ちかけては耐える瞼。
   やがて睡魔が勝利して・・・。
   分厚いカーテンの隙間から射す月影。
   *****
   けたたましく叫ぶ警報音。
   泡を食って飛び起きるトミ。
   すかさずモニターに視線を走らせる。
   洋室には人影も異状もない。
   ただ、各種数値が振れに振れて。
   キーンという高周波音が耳に痛い。
トミ「い、行かなきゃ・・・ウッ」
   デスクの角で肘を打った痛みも無視。
   部屋を飛び出すトミ。
   モニターの中を横切る白い影。

●メゾン東野・廊下・同時刻
   801のドアをトミが出ると同時に。
   804のドアが勢いよく開く。
   エリ、まろび出るように。
   バスタオルを胸で巻いただけの姿。
   トミの姿を認めて縺れる足で走る。
   廊下の真ん中で抱き止めるトミ。
エリ「で、で、出た・・・お風呂・・・」
   言葉の後から止めどなく涙。
   口は動き続けるが言葉を為さず。
   中腰でエリを抱きしめ続けるトミ。
トミ「落ち着いて、もう平気、平気だから」
   激しく瞬く廊下の蛍光灯。
   エリの喉から声にならない悲鳴。
   トミ、エリの濡れた頬を胸に。
トミ「大丈夫だよ。私の部屋何もいないよ。
 ね、行こ。朝まで一緒にいるから」
   何とかエリを立たせて801の方へ。
   最後に振り向くトミ。
   半開きの804の扉が重々しく閉じる。
   底知れぬ闇をその内に孕んだまま。

●トミの部屋・数刻後
   マグカップでココアを飲むエリ。
   つんつるてんのパジャマ姿。
   蒼白の頬にやっと血色が戻る。
エリ「・・・ごめん、取り乱して」
トミ「仕方ないです。初めてだったんだし」
   回転椅子の上のトミ。
   あまりエリの方を見ないように。
エリ「ほんと恥ずかしい。いつもトミーの前
 で余裕ぶってたくせにさ。自分にガッカリ
 だよ。・・・服もありがとね」
   上のボタンを留めようとして諦める。
トミ「破んないでくださいよ。それ、オキニ
 なんですから」
エリ「ほーい」
   またココアを一口。
   トミ、映像チェックを始める。
   何度リピートしても結果は同じ。
   洋室から玄関へ逃げるエリの姿だけ。
トミ「やっぱり付けとけば良かったかな」
エリ「今さら?」
トミ「あの・・・もし嫌でなければ」
エリ「増設?」
   首を横に振るトミ。
トミ「聞かせてもらえませんか、さっき見た
 モノのこと」
   エリ、視線をマグカップの底へ。
   心を決めて語り出す。
エリ「・・・すっかり温まったから脱衣所に
 出たの。そしたらね」

●804号室・脱衣所・深夜
   バスタオルで火照った体を拭うエリ。
   カタン、と何処からか異音。
   周囲を見回すも鏡面含めて異状なし。
   バスタオル再開。またもやカタン。
   洗面台を覗き込むエリ。
   下から浮き上がりかけた排水栓。
   吸い込まれるように、カタン。
   エリ、栓を押さえようと手を伸ばす。
   蛇口に映ったエリの歪像。
   その背後にどす黒い像を結ぶ<何か>。
   鏡に目を向けたエリの顔が引き攣る。

●トミの部屋・深夜
   自分の体をギュッと抱くエリ。
エリ「あんなの見たことないから・・・どう
 表現すればいいのか分かんない・・・」
トミ「難しく考えないで、見たままを」
   三色ボールペンの芯を弄りながら。
エリ「蛇・・・黒い蛇が体中を這うみたいに
 ウネウネ・・・本体は影になってほとんど
 見えなかった。でも、あれは女・・・」
トミ「女」
   ボールペン、カチカチ。
エリ「うん、あの目は女だよ。奥で青い炎が
 燃えてるみたいな、熱くて冷たい目」
トミ「敵意は感じましたか」
エリ「うーん、どうかな。怖いが先に立った
 からそこまでは」
   ふと何かに気づいたように。
エリ「・・・あの目、私どこかで見たような
 気がする。たぶん知ってる人の・・・」
   トミ、ペンの芯を全て引っ込めて。
   回転椅子を回してエリに向き直る。
トミ「もう遅いので今晩は寝ましょう。そこ
 のベッド使って頂いて構いません」
エリ「トミーはどこで寝るの?」
トミ「寝てる暇なんて無いですよ。朝までに
 解析を終わらせなくては」
エリ「・・・・・・」
トミ「気に病まないで。私、いま途轍もなく
 ワクワクしてるんです」
   エリ、暫く考えた末に頷く。
   マグカップを持ってキッチンへ。
   *****
   流しでマグカップを洗うエリ。
   背後からトミの声。
トミ「エリさん」
エリ「これだけ洗わせて」
トミ「今からする質問、聞き流して頂いても
 結構です」
エリ「・・・・・・」
トミ「明日、もう一度アレと向き合う覚悟は
 有りますか」
エリ「・・・・・・」
   カップを濯ぐ水音だけが長々と響く。

●同・承前
   ベッドでシーツに包まるエリ。
   寝苦しそうに輾転反側。
   魘されたような吐息を漏らして。
   モニターと向かい合うトミ。
   問題の映像を何度もリピート。
   各数値の変化とシンクロさせて。
トミ「部屋の何処かに強力なエネルギー場が
 生じてるんだ・・・音の発生源もベクトル
 は同じ・・・磁気異常、それに僅かながら
 重力異常も・・・」
   額に玉の汗を浮かべたエリ。
   からくり細工のように瞼が開く。
   その瞳に微かに宿る青い炎。

●山の端から毒々しく昇る扁平な朝陽

●804号室・玄関・朝
   そーっと回るドアノブ。
   廊下から慎重に覗き込むトミ。
トミ「問題なさそうです」
   後ろから怖々顔を出すエリ。

●同・洋室(カメラ視点)
   部屋に入ってくるトミとエリ。
   その場で立ち竦んでしまうエリ。
   浴室を確かめに行くトミ。
   引き返して来て、窓の方へ。

●同・承前(通常視点)
   トミ、カーテンを引き開ける。
   一気に流れ込む朝の光。
   白々と照らされた部屋の清浄感。
トミ「空気も入れ替えましょう」
   開けた窓の隙間から髪を弄る風。

●同・脱衣所・同時刻
   半分浮き上がった排水栓。
   思い切って伸ばしたエリの指。
   排水栓をきちんと押し込む。

●同・キッチン~洋室・数刻後
   冷蔵庫を開けるエリ。
   寒々しい庫内の有り様に溜息。
エリ「シシャモしかないよー」
   座卓を除菌シートで拭くトミ。
トミ「納豆は?」
エリ「一個だけ。半分コすればいいか」
   隣の棚からパックご飯とカップみそ汁。
エリ「何とか形にはなりそう」
トミ「食後のデザートもありますし」
   トミ、お土産の紙箱を掲げて。

●同・洋室・午前
   食器を片づけるエリとトミ。
エリ「トミーってさ」
トミ「はい」
エリ「何でも美味しそうに食べるよね」
トミ「そうですか?」
エリ「今朝の献立ほとんどレンチンなのに」
トミ「貧乏舌とでも? 失礼ですね。まあ、
 貧乏なのは否定しませんけど」
エリ「違うよ、何か幸せそうだなって」
トミ「あったかいもの頂いたからです」
エリ「味は二の次?」
トミ「あったかさは重要ですよ」
   開陳されるお土産。
エリ「おー、パウンドケーキ。栗でかっ」
トミ「和栗が名物らしいので」
エリ「お茶淹れるね。緑? 紅?」
トミ「緑のとびきり渋いやつを」
エリ「通じゃん。私もそうしよ」
トミ「・・・すごいですね」
   てきぱき動くエリを見て。
エリ「え、何、崇拝?」
トミ「昨夜あれだけ泥酔して」
   アンニュイな表情に変わるトミ。
トミ「部屋、汚される覚悟してました」
エリ「やだ・・・私大丈夫だったよね?」
   エリ、あたふた。
   トミ、セーフのジェスチャー。
エリ「もー、焦るって」
トミ「宿酔って都市伝説だったんですか」
エリ「確かになったことないな。なりそうな
 量飲んだのは昨夜が初めてだけど」
   急須から湯呑に注ぐエリ。
   湯気の中に浮かび上がる記憶。

●居酒屋・テーブル席・夜
   ノイズ混じり、途切れ途切れの記憶。
   エリと向かい合って座るカレン。
カレン「とりあえず乾杯!」
   打ち付け合うジョッキとグラス。
   カレンのグラスはノンアルカクテル。
   一気に半分ほど飲み干すカレン。
カレン「かーっ、ギグの後はこれだねえ!」
   エリ、まだ生中の泡だけ。
   気にせずメニューを繰るカレン。
カレン「ささ、何でも頼んで。軍資金はそれ
 なりにせしめてるから。店員さーん」
   *****
   少しずつ箸をつけた料理。
   エリ、両手でジョッキを包むように。
   ほとんど汚れていない取り皿。
   カレンの手と口は大忙し。
カレン「今日のお客さんマジ最高だったね。
 打てば響くってヤツ? 最初はそのつもり
 無かったのにさ、つい乗せられてアドリブ
 入れまくり。その時は気持ちよかったけど
 後で冷や汗かいたよ。ヘルプのくせに調子
 乗っちゃったよね。聴いててどうだった?
 曲ぶっ壊してなかった?」
エリ「・・・大丈夫、素敵だったよ」
カレン「そっか。ミューズが言うなら間違い
 ないか。お、うざくうまっ。半分残しとく
 から食べなよ」
   エリ、生中をグビリと一口。
   *****
   料理の皿が二ターン目。
   カレン、少し神妙な面持ちに。
カレン「まあ、秘密にしてたのは悪かった。
 ああ見えて結構焦ってたんだ。勧誘しても
 誰も動いてくれないし、一人で練習するの
 割とキツくてさ。自分の音がだんだん白々
 しく聞こえてきて。きっとウチがヘタクソ
 だからメンバー集まらないんだって・・・」
   エリ、生中をグビリ。
カレン「凹んでた時バイトの先輩が声かけて
 くれて。で、練習に参加させてもらう流れ
 になったわけ。今日のギグはそれ繋がりね。
 エリーに言うタイミング、ずっと逃してた
 からさ、もういっそ本番見せちゃえって」
   エリ、生中をグビリ。
カレン「重音も継続するからさ、当分は同時
 進行ってことでよろしく。エリーが嫌じゃ
 なかったらあっちのバンドにも紹介するし」
   エリ、生中をグビリ。
   空になるジョッキ。
カレン「あ、おかわり?」
   *****
   料理の皿が三ターン目。
   カレン、なぜか少しほろ酔い加減。
カレン「難しく考えすぎなんだよ」
   カレン、ノンアルカクテルをグビリ。
カレン「今だから言うけどさ、アンタずっと
 悩んでたでしょ、メンバー全員が辞めたの
 自分のせいだって。黙ってても分かるよ、
 端々に出てたから」
エリ「・・・だから何?」
   エリ、生中をグビリ。
カレン「悩む必要ないって言ってんの。どう
 にもならないことだったんだよ」
エリ「でも私が入ってからだよね。それまで
 はうまく行ってたんでしょ」
カレン「それは・・・たまたまそういうタイ
 ミングだっただけ」
エリ「私が向こうの立場だったら嫌だけどな。
 一年かけてできあがった人間関係に土足で
 踏み込んでくるヤツがいたら・・・」
カレン「・・・・・・」
   カレン、ノンアルカクテルをグビリ。
   エリ、生中をグビリ。
   *****
   スマホを見るカレン。
カレン「どうしよう。先輩、打ち上げ抜けて
 こっち来たいって。いい? 大丈夫?」
   エリ、生中をグビリ。
エリ「・・・いいよ、歓迎するよ」
   エリ、トロンとした目。
   *****
   カレンの隣にストラマー系男子。
   緊張ぎみに紹介するカレン。
カレン「こちらはさっき話したバイトの先輩、
 宇和アキヲさん。で、こっちがウチの親友
 の・・・」
エリ「・・・阿月です」
宇和「あ、宇和です。お話はかねがね」
エリ「へー、どんな内容ですか?」
カレン「ちょ、エリ・・・」
宇和「家族の次に大切な人だって」
カレン「もう、先輩・・・」
宇和「それ聞いて心底羨ましかったですよ。
 胸張って誇れるダチなんて、誰にでも居る
 わけじゃないから」
カレン「あーもう、いいですってそういうの。
 あっついなあクソ・・・」
   カレン、手扇で照れ隠し。
   新しいドリンクが運ばれてくる。
宇和「じゃ、あらためて乾杯を」
   だるそうにジョッキを浮かすエリ。
   *****
   音楽談議に花が咲くテーブル。
   宇和と話すカレン、どこか初々しく。
   見るともなく見ているエリの酔眼。
カレン「中盤の先輩のソロ、一番好きかも」
宇和「『朝日のあたる家』?」
カレン「たぶん。アルペジオが渋いやつ」
宇和「じゃあそうだ。めちゃ古い曲のカバー。
 若いくせに物好きだねお前も」
カレン「だってエモくないですか。キレイな
 メロなのに重くて切なくて・・・」
宇和「ブルージー?」
カレン「そう、それ!」
宇和「鹿路の路線とはだいぶ違うけどな」
カレン「ウチだって、たまにはああいう演奏
 してみたいなって思いますけど」
宇和「そんな難しくないぞ。今度教えようか」
カレン「マジですか、やった!」
   エリ、生中をグビリ。
   *****
   突っ伏したエリを揺さぶるカレン。
カレン「エリー起きて。おい起きろって」
   ぼんやりした顔を上げるエリ。
エリ「・・・もうラストオーダー?」
カレン「じゃない。いま頭冴えてる?」
エリ「・・・まあそれなりに」
カレン「先輩クイズが激ムズでさあ・・・。
 エリーも一緒に考えてよ」
   カレンの隣で得意げな宇和。
宇和「難しく考えすぎなんだよ」
カレン「うわムカツク。えーっと何だっけ」
   宇和の唇が問題を読み上げる。

●804号室・洋室・午前
   エリの唇が問題を読み上げる。
エリ「ある日町に行こうと道を歩いていたら
 向こうから男が来ました。男は七人の妻を
 連れていて妻たちはそれぞれ袋を七つずつ
 持っていて袋の中には七匹ずつ猫が入って
 いて猫は全て七匹の子連れでした。さて、
 町に向かっていたのは何人と何匹?」

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